昭和10年 | 河二末吉(祖父)が分家し五郎島金時の栽培を始める |
昭和28年 | 河二和利(父)が就農する |
昭和40年1月 | 河二敏雄(現社長)が生まれる |
昭和60年 | 大学生活で就農を決意する 大阪での大学生活で、農業への理解の無さを知る。 社会で理解される農業を実践したいと考える。 |
昭和62年4月 | 河二敏雄が就農する 生きていくための職業選択で農業を決心したが! 農業経営の厳しさを教えられる。 今までとは違った農業をする事を条件に就農する。 |
平成元年 | 小林一先生と出会う 友人の紹介で石川県農業総合試験場農業経営課に行く。 小林先生に農業を数値として見させて頂く。 2人の先生と、4人の生徒農作業日誌を中心に各作型労働時間を学ぶ。 2年間で複式簿記の基礎知識を得る。 |
平成3年 | アグリネットワーク設立 学び続ける大切さと自らが行動する楽しさを知る。 マーケティング部門と経営管理部門の2本柱。 経営コンサルタントの福田義昭先生に実践複式簿記を学ぶ。 |
平成3年 | 五郎島金時のメリクロン化に取り組む 五郎島金時生産者 西沢哲郎・西村浩一・酒栄優次・藤村幸司・河二敏雄。 全国的にメリクロン化が進みだす。 石川県農業短期大学教授 島田多喜子 先生から学ぶ。 |
平成6年 | 五郎島金時メリクロン化へ実践導入 五郎島さつまいも部会の応援により非常に綺麗な五郎島金時の栽培に成功。 |
平成6年 | アグリネットワークの自立解散と青年農業会議所の設立 “現状維持は衰退につながり、現状打破は繁栄につながる”の教え。 実践し行動の中から自己啓発を目指す。 異業種交流にも積極的に働きかける。 |
平成7年1月 | 阪神大震災をボランティアとして体験 人の命の尊さを知る。 一生に一度の人生。 五郎島金時の加工品があれば支援物資に提供できた。 自らの行動が必要であると会社設立を決意。 |
平成7年2月 | (株)芝寿司会長 梶谷忠司 氏と出会う 商業界で初めて農商交流会を開講し、交流を求めていた。 阪神大震災の1ヵ月後、アグリネットワークの友人から誘われ第64回商業界ゼミナールに参加する。 全国から商いを志す約2,000人が2泊3日商いのあり方を学ぶ。 梶谷忠司氏の講演で”やってみなはれ”が心に突き刺さる。 講演終了後、部屋に押しかけ梶谷忠司氏を独り占めにする。 世の中、口だけの人間と行動する人間がいる。あなたはどっち? “芝寿司は金沢だから、いつでも相談においでよ!”・・・うれしかった。 |
平成7年7月 | 農業の可能性を求めて会社設立 農業で挑戦できる環境を目指して設立。 可能性は無限にある。 “食無くして文化の発展は無い”と信じる。 |
平成7年10月 | 石川県金沢市大野町の醤油蔵を借りて五郎島金時の加工を始める 義理父から大野醬油の醬油蔵を借り、<焼き芋パック>の製造・販売を全国で初めて開始。 |
平成8年10月 | 焼き芋ペーストの製造販売を開始 商談会で隣になったお菓子屋さんに「さつまいもの加工は手間がかかる。裏ごししてあれば扱わやすい。 かわにさんやってみてよ!」との要望に応えるため、ペースト製造を始める。 |
平成23年8月 | 石川県金沢市粟崎町に本社を移転 |
平成25年10月 | 金沢駅構内に直営店〈農家屋かわに〉をオープン |
令和3年7月 | 食品安全マネジメントシステム JFS-B取得 |